富永秀宣(とみなが ひであき)
1996年6月4日生まれ。滋賀県出身。
6歳より空手を始める 黒帯保持者
全日本少年少女空手道選手権大会滋賀県予選 組手個人戦 小学5年男子 優勝(2007年・小5)など複数回入賞
自信が6歳の頃に母親が何か僕に習い事をさせたいと思い、姉と一緒に近くの空手道上に連れて行かれがきっかけで
始めることになりました。
僕は体験に行った時の雰囲気が嫌で空手を習うことが嫌でしたが姉がとても乗り気だったので強制的に習わされた形です…
初めは本当に道場に行くのが嫌で何度も行きたくないと泣いて母に訴えましたが、そんな訴えも届かず通わされていました。
練習をしていくうちに上達し、楽しくなりました。
結局6歳から中学1年生までの約7年間続けましたが、だんだんと試合に勝つことの喜びを感じられ
負けへのプレッシャーばかりが大きくなってきました。
中学入学と同時にラグビーを始める
中学に入ると別のスポーツにも挑戦してみたいと思い、空手で培った闘志と、今まで個人競技だったので
集団プレーへの憧れから、ラグビー部に入部。
初めての試合で相手チームの先輩から受けたタックルが痛すぎて今でも鮮明に覚えています…
入部1年目に滋賀県選抜に選出される(2009年・中1)
ラグビーを初めて半年ほど経ち、滋賀県の選抜チームへ選出されました。
この半年間は空手とラグビーを並行してやっていましたが、ラグビーに専念するために空手の引退を決意。
中体連滋賀県大会 優勝 近畿大会へ出場(2010年・中2)
部員が少なかったため、合同チームの一員として参加をさせていただいていました。
指の骨が折れていましたがテーピングで固定をしながら出場。近畿大会は一回戦で負けてしまいました。
生徒会副会長・体育祭団長を務める(2011年・中3)
中学2年生から生徒会での活動をしていました。3年生で生徒会副会長に立候補。
体育祭の団長は立候補者がいなかったため、担任の先生にお願いをされて引き受けることになりました。
高校へラグビーでの推薦で入学 花園へ出場
高校へは県内の私立校へ授業料を全額免除でスポーツ推薦での入学。
U17 近畿ブロックトレセン(日本代表候補一時審査)選出(2013年・高2)
日本代表の選考合宿へ招集されました。まずは地方ごとで招集されるのですが近畿地方はレベルが高く
他の選手のプレーに圧倒されて歯がたちませんでした。
全国高校ラグビー滋賀県予選 優勝(2013年・高2)
花園への切符を手にするも、大会5日前練習中に左脚膝の半月板を損傷し、出場できず。
半月板摘出手術を受けました。
膝のリハビリの末、復帰するも翌年の夏に練習試合にて右脚を脱臼骨折。( 2014年・高3)
手術の上、医師より全治6か月の診断を受け、高校在学中のラグビー復帰が絶望的な状況となる。
わずかな希望を胸にリハビリに励み在学中の現役復帰を目指す。
リハビリ入院のため、2ヶ月ほど入院をしました。
病院でのリハビリ施設にも関わらず厳しいトレーナーさんが在籍されており
手術箇所以外の動く部分は毎日トレーニングで追い込まれる地獄のような日々でした。
チームが県大会を優勝し、花園への切符を獲得。
チームが県大会を優勝してくれたおかげで、全国大会までに2ヶ月ほどの期間ができ
なんとか全国大会のメンバーへ選出される。花園への出場機会を得ることができました。
取材を受け、中日新聞に掲載される。(2015年・高3)
高校3年間で体重を27キロ増量する。
ラグビーはフィジカルスポーツ。元々痩せ型だったため、細身の部員には監督から体重増量のノルマを課せられていました。
毎日朝食以外に【弁当2つ、おにぎり2つ、菓子パン2つ、バナナ2本、みたらし団子1パック】+夕食を毎日無理やり食べていました笑
高校の3年間で体重が60kg→87kgと27kgの増量に成功。
毎朝自分より早起きして、この量の食材を用意してくれていた母に感謝です…
ラグビーを高校で引退する。
本来であれば大学でもラグビーを続けたかったのですが、あまりにも怪我が多かったため
両親からの反対と自分もこれ以上身体を壊したくないという思いからラグビーの引退を決意。
中学時代に高校の監督から「君を日本代表選手にする」と言っていただけましたが
結局思ったような結果を出すことができず、引退することとなりました。
自分が悪いのですが、高校3年間はほとんど勉強をしていなかったので、これはやばいぞ大学受験…
志望校への受験に落ち、第二志望の大学へ入学
やはり現実はそう甘くなく、勉強をしていなかった自分はしっかりと第一志望校に落とされ
第二志望校へ進学することとなりました。
警察官を目指し、法学部へ進学する。
中学生の頃からアメリカンコミックのMARVEL作品が大好きで、同時に海外へと興味を持つようになりました。
将来はアメコミのスーパーヒーローになりたいという思いから、人々を守る警察官になりたいと考え
刑事法や民法を学習するために法学部へ進学しました。
引退後、約6ヶ月で約10キロのダイエットに成功。
元々痩せ型で無理やり増量をしていたこともあり、食事に気をつけると早くに痩せることができました。
痩せたい時はトレーニングの内容も重要ですが、まずは食から見直すことをおすすめします。
趣味でトレーニングを毎日1時間4年間続ける。
ラグビーでのウエイトトレーニングが習慣となっていたため、引退後も大学4年間トレーニングを続けました。
自身はジムやどこかへ通うことが苦手なので、ジムには契約をせずにトレーニング器具を購入し
毎日実家でやることで継続ができていました。
海外旅行に行き、海外文化に興味を持つ。
学生時代はタイ・ハワイ・韓国・香港・フィリピン・ベトナムなど、アジアを中心に数カ国を旅行しました。
元々映画などの影響で海外の文化に興味があったので、漠然といつか世界一周をしてみたいなと考えていました。
この時に行ったタイの雰囲気がとても自分にフィットしており、お気に入りの国の一つとなりました。
社会人。営業マンとして働く 受注額が同期入社 全国1位となる
大学在学中にいろんな人や場所に触れ、少しづつ心境に変化が出てきました。
警察官を目指し、大学は法学部へ入学したものの
警察官採用試験の最終試験を辞退し新卒で大手リフォーム会社へ入社。
いつかスーパーヒーローになりたい。その想いはしっかりと今も抱いています。
しかし大学生活を送っている中で自分の思っているヒーロー像と警察官との間に何か乖離を感じ
警察採用試験の最終面接を辞退しました。
人とお話しすることも好きなので営業もやってみたいと思い、父が建築会社を自営していることから
自身は大手リフォーム会社に営業職として就職することを決意。
勤務地が横浜となり、初めて関西以外の地域で活動することとなりました。
入社後
▪️2020年度下期 新人賞
(受注:5,127万円 2019年度入社全国2位)
▪️2021年度上期 新戦力優秀賞
(受注:5,917万円 2019年度入社全国1位)
職場ではたくさんの上司や先輩、同期、お客様に支えられ、伸び伸びと営業活動をすることができました。
止まらない海外への憧れ タイへの移住準備
横浜で社会人として過ごす中、1年目の2020年2月ごろに日本にもコロナウイルスが蔓延し出します。
コロナ禍での外出禁止や、在宅勤務が増え、一人暮らしだったこともあり 自分自身と向き合う時間が確保できました。
自問自答を繰り返し、自分がずっとやりたかったことはなんなのかを考えたとこと
やはり世界一周をしてみたいという考えに辿り着きました。
しかしこのコロナウイルスに関する各国の入国規制の違いや、外国の物価高
欧米諸国のアジアンヘイトクライムの影響などを考えると現実的に厳しいと感じました。
そんな時に頭をよぎったのがタイ王国です。
いろんな国を転々とすることは大変ですが
一つの国に留まるのであればそれほどコロナの入国規制などもあまり考える必要はありません。
物価や治安、ビザの取得のしやすさなどからタイへの移住であればかなり現実味があることを知り
タイへ移住することを決意しました。
まずは移住するための資金を貯めることと、言葉の壁を少しでもなくすことが必要であると感じ
移住準備中、もし違う国に行きたくなっても大丈夫なように英語を習得することにしました。
オンライン英会話レッスン 562時間受講(1年半継続)
タイに移住することを決めたその日にオンライン英会話に登録をし、毎日英会話の習得に励みました。
ジム同様、通うことが苦手な僕は好きな時間に受講できるオンラインだから続けられたのだと思います。
オンライン英会話のみの時間は560時間ほどですが、レッスンの復習をしたり
Netflixで海外ドラマのセリフを練習したりしていたので、おそらく1年半で800時間以上は英会話に費やしたはずです。
完璧ではありませんが日常会話ぐらいであればスラスラと話せるレベルにはなりました。
TOEIC 610点
英会話学習に区切りをつけたタイミングで、そこそこいけるのではと人生で初めてTOEICに挑戦をしてみましたが
試験では完敗。特にリーディングの文法問題でボコボコにされました…
簿記 (4ヶ月間勉強)
簿記にも興味があり、教養程度の知識が欲しかったので4ヶ月ほど独学で勉強しました。
せっかく勉強したんだからと日商簿記2級を受けてみましたが、こちらにもあっさりボコられてしまいました。
最低限の知識は得られたのでよしとします。
3年半新卒で入社した会社で働き、目標としていた貯金額に到達、自分が納得できるレベルの英会話を取得できました。
会社を2022年12月付で退職し、ついに念願のタイ移住です!!
そして現在
2023年2月24日よりタイ(パタヤ)へ移住
タイでの移住生活を送りながら、Webスキルを習得し
現在はECサイト(Shopify)のエンジニアとしてフリーランスで活動をしています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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はじめまして。合同会社うさぎ企画の森田と申します。東急に23年間勤務した後、起業独立し、国内各地で新交通導入と人材交流組み合わせた地域活性化や企業コンサルなど手掛けております。パタヤというとゴルフ場が多い印象もありました。ソンテウはそうした郊外でも走っているのですか?安くて便利な乗り物なのかなと思いますが、ソンテウに課題はありますか?タイでは高齢者の移動制約も発生していると聞きますが、地元の高齢者も使っていますか?お教えいただければ幸いです。宜しくお願い致します。